バ87
身体がほとんど動かない。吸血鬼の尋常ならざる回復力は毒物に対しても働くのだが、先程打たれた注射に対しては、未だに回復の兆しが見られない。
もどかしさを必死に押し殺しながら、マナは状況を確認する。
自分が軟禁されている部屋には、窓がない。だが、ここに連れ込まれる前に波の音が少しだけ聞こえた。おそらく、黒須河埠頭の漁港近くなのだろう。
拘束はされていないが、身体は自分の意思に従って動いてくれない。この有り様では超音波の使用はもちろん出来ないし、普段通りの鋭敏な五感を期待するのも難しい。
今は、とにかく考えるしかない。この状況を打破するだけの策を考えねば……。
……そんなものは、どこにもなかった。
最初に指示された場所は、郊外にある川沿いの河川敷。そこで待つこと数分、今度は大沢組系列の材木会社倉庫に来るよう言われた。最終的に、幸一が黒須河の漁港についたのは午前三時を過ぎていた。
フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。漁港にいたのは三十名以上の大沢組の組員達。その黒い群れに向かって、幸一は歩き出す。
割れた人垣の向こうにいた、リーダーらしき男が顎をしゃくる。彼の視線の先には古びたビル。そこに入れと言いたいらしい。
大分前に打ち捨てられたのだろうか、壁にはヒビが入り、コンクリート片がそこら中に転がっている。蛍光灯だけは取り替えたのか、真新しい光を放っている。
『ようこそおいで下さいました。正面の突き当りを右に曲がれば、階段があります。そこをまずはあがって下さい』
スピーカーから聞こえてきた声に、幸一はメックコートを翻し、言われた通り階段をのぼる。背中の抗弾ベストには、冷や汗が張り付いている。
『部屋がありますね? 入って下さい、私からのプレゼントです』
訝しげな顔付きでドアノブを回した幸一が眼にしたものは……
「マナさん?!」
「幸一君?!」
マナの姿を認めた幸一は走りより……透明な壁に激突した。
「クソッ! マナさん、下がって!」
警告すると幸一は右腕を振る。次の瞬間には右手に収まった拳銃の銃口を掲げ……雷にも似た音が轟いたものの、壁にはヒビを入れる事すら出来なかった。